2018/11/05
伊那の中心「坂下の辻」
みなさんこんにちは、M支援員です。
伊那に坂下というところがあるのですが、
江戸時代から明治にかけ、交通の要所となっていました。
「坂下の辻」として、今も佇んでいます。

南北を走る三州街道、そして西は木曽へ、
東は高遠から江戸へとつながっています。

また、西に向かう道は「羽広道(はびろみち)」といい、
一丁ごとに石仏が並んでいます。
羽広道の行先は、先日紹介した仲仙寺。
ちなみに、私の実家の前にもこの丁石があります。
ここから、東西南北を見てみます。

西側は先ほどの羽広道と、
木曽へ抜ける権兵衛街道(木曽路)です。

東側は高遠城下町から江戸へつながる道。
杖突街道(金沢街道)などと呼ばれていました。
今は、入舟などの繁華街を通っていきます。

北側は奥に伊那小学校、左の丘の上が常円寺。
三州街道として塩尻へ、また善光寺道ともいわれました。

南側も三州街道で、すぐ小沢川を渡ります。
飯田を経て岡崎に向かう街道でした。
明治に入って、南北の新しい道が天竜川の方(東側)に
でき、まちの中心部は少し場所を変えました。
今は目立たない交差点になりましたが、
歴史ある風景がここにはあります。
--------
伊那市への移住・定住については、ぜひ
伊那市移住応援サイト「伊那に住む」 をご覧ください。
伊那に坂下というところがあるのですが、
江戸時代から明治にかけ、交通の要所となっていました。
「坂下の辻」として、今も佇んでいます。

南北を走る三州街道、そして西は木曽へ、
東は高遠から江戸へとつながっています。

また、西に向かう道は「羽広道(はびろみち)」といい、
一丁ごとに石仏が並んでいます。
羽広道の行先は、先日紹介した仲仙寺。
ちなみに、私の実家の前にもこの丁石があります。
ここから、東西南北を見てみます。

西側は先ほどの羽広道と、
木曽へ抜ける権兵衛街道(木曽路)です。

東側は高遠城下町から江戸へつながる道。
杖突街道(金沢街道)などと呼ばれていました。
今は、入舟などの繁華街を通っていきます。

北側は奥に伊那小学校、左の丘の上が常円寺。
三州街道として塩尻へ、また善光寺道ともいわれました。

南側も三州街道で、すぐ小沢川を渡ります。
飯田を経て岡崎に向かう街道でした。
明治に入って、南北の新しい道が天竜川の方(東側)に
でき、まちの中心部は少し場所を変えました。
今は目立たない交差点になりましたが、
歴史ある風景がここにはあります。
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伊那市への移住・定住については、ぜひ
伊那市移住応援サイト「伊那に住む」 をご覧ください。